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幼少の頃、木で工作して、銃を作ったり、船を作ったり良くしていました。
それで、木の節目で、たまにそのぶぶんが円筒形ですぽっと抜けてしまったりすると、
「これがこの銃の魂や」
とか言って、遊んでしました。
誰に教えてもらったわけではなく、物にも人にも、魂的なものが本体という認識を持っていました。
なるとさんは、はっきり言葉としてではないけれど、なんとなく魂からの声を聴くことができるとおっしゃっていました。
私は全然そのレベルではありませんが、今の世の中の動きを見ていて、これはやばいと思うようになりました。
周りの同僚や友人の動向を見ていて、なぜそうゆう決断をするのかが全く理解できないでいました。
その答えに近いものを、今日発見することができたように思います。
笹原シュンさんによれば、今回の騒動が一つの「企画」なんだそうです。
企画=キャンペーン、もしくはイベント というのが意味的に当てはまるでしょうか。
つまり、私たちの周りで、何の疑いもなくワク〇を打ってしまう人は、この後も奴隷社会の構造下での魂の経験を続けて行きたい、だからそれを選択しよう、という選択の元に行動しているという事です。
私はもうこんな奴隷社会はまっぴらごめん、という判断をした人は、それに見合う行動をとるようになるという事です。
今生きている人は、さすがに気づくでしょうという、「ブチ切れポイント」というものを設定して生まれてきているんだそうです。
今回のワク〇送騒動は、その中でも最高レベルの「ブチ切れポイント」と言えるようです。
ブチ切れるのも悪くないですね。